hidemaruggl's blog(ひでまるggl)

日々考えたことをアウトプット したいと思います

美容師の子5◆多忙な母、その時父は・・・

ひでまるgglです

 

 

母には感謝しています

 

 

そんな母が八十才と高齢になったので、母が生きているうちに、何か書き残しておこうと思いました

 

 

【母の開業】

23歳で父と結婚し、父の実家を半分改築して、美容室を始めた母です

 

 

美容室はパーマ椅子三脚、シャンプー台1台、3人掛け長椅子一脚で自営していました

 

 

結婚当初、両親と父の祖母の3人で美容室と同じ位の広さの居住スペースで、美容室とドア1枚を隔て生活していました

 

 

だいぶ窮屈だったから、と思いますが、姉が生まれる頃に、2階を増築したため、自分には、2階建ての実家の記憶しかありません

 

 

おかげさまで、開業直後から、美容室の経営は順調だったようです

 

 

当時は結婚式などで、着物の人も多く、日曜祝日の美容室は着付けをする人で賑わっていたそうです

 

 

更に、近所に美容室が少なかったこともあり、母の美容室は、大繁盛でした

 

【母の子育て】

物心がついた幼稚園時代の記憶では、母は、家事全般のため、美容室と家族の居室とを行き来して、大忙しでした

 

 

パーマの待ち時間に、家族の食事を作る、洗濯物を干す、取り込む、、掃除をする、などなど、くつろいでいる姿はあまり記憶にありません

 

 

母が美容室で働く間、幼稚園に行く前の自分は、母よりも、祖母に遊んでもらっていた印象が強いです

 

 

美容室の休みは毎週水曜日と第3水曜日でしたが、そんな忙しい頃に、第3日曜日に休むのは難しかったと思います

 

 

今度の日曜日が、親戚の結婚式なの、と予約をお願いされたら、対応していたのだと思います

 

 

毎週水曜日の休みは、美容組合の講習会がよくあり、母の外出の日でした

 

 

そんな時が気晴らしになっていたのかな、と今になりって想像します

 

【父、登場】

というふうに、美容室を開業して数年は、すごく忙しい母だったのですが、その時、父は何をしていたのか、気になります

 

 

母の七つ上の兄が、同級生の父を妹である母の結婚相手候補として選んだのです

 

 

小学生の頃にそんな話を聞いて、昔はそんなことがよくあるのかな、と思っていましたが、それ以降、そんな話を身近で聞いたことはないです

 

 

父は、高校卒業後、板前の修行をして、母と結婚して数年は、板前として働いていたそうです

 

 

その後、何が嫌だったのか、製材所に転職しています

 

 

自分の中で父の記憶が鮮明になるのは、小学校1年生からです

 

 

それまでは断片的な記憶しかないのですが、小学校1年生の記憶は鮮明です

 

 

なぜか、というと、小学校1年生の頃の作文コンクールで父の話を書いてて、入賞したからです

 

 

入賞まで、先生や母の推敲が入る度に読み直しさせられていたので記憶が定着したようです

 

 

作文の内容は、夕方仕事から帰ってきた父が動く車の工作おもちゃを買ってきてくれて嬉しかった

 

 

でも、自分が好きなテレビアニメを見ている時に、一緒にお風呂に入るぞ〜とうるさく呼ばれて父が嫌いになりました、という話でした

 

 

そんなオチでコンクールに出せる訳はなく、やっぱり父が大好きです、というオチに推敲?されて入賞したので、記憶が鮮明です

 

 

小学校入学前の父の断片的な記憶は、怒ると怖い、ということで、父が家事を手伝っていた記憶はありません

 

 

母は、大忙しだったので、板前をやっていた父が家族の食事をやっていた作れば良いのに、と思います

 

 

ですが、当時の父は、正月に魚一匹をもらった、とか、自分が食べたい物がある時など、年に数回しが台所に立っている記憶がありません

 

 

ということで、父は、母の家事の助けにはあまりなっていなかったと思います

 

 

ただ父は変なところで饒舌だったので、母が働いている美容室に時々顔を出しては、お客さんと世間話をしていました

 

 

そういう点では、美容室の営業には、多少貢献していたのかもしれません

 

 

 

 

 

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