ひでまるgglです
母には感謝しています
母は、自分の思いを言葉にすることはなかったですが、母からの愛情に不安を感じることはなかったです
そんな母は八十才になりました
そんな年になった母が生きているうちに、何か書き残しておこうと思いました
種子島で生まれ育った母は、中学を卒業後、京都で1年、宮崎の都城で7年、住み込みで美容師の修行をしていましたが、父との結婚を機に、鹿児島で父と暮らし始めました
自分が物心ついたときには、母は、自宅で美容室を自営していました
当時の話を2年ほど前に聞くことができました
23才だった母は、結婚を機に、鹿児島の父の実家で、祖母と同居することになったのですが、平屋の住居の半分を美容室に改築して、美容室を始めたそうです
住み込みの給料はとても安く、改築の資金は貯まっていなかったので、全て金融公庫からの借金でした
美容室はシャンプー台1台とパーマ椅子3脚と待合スペースに3人用長椅子がありました
母は、美容室を自営しつつ、25才で姉を、27才で自分を出産しました
幸い当時の美容室はとても繁盛していて、朝から晩まで立ちつくしで仕事がありました
出産後は、姉や自分をおんぶしながら、お客さんに対応していたそうです
自分が物心ついたときにも、母は、とても忙しく、パーマの待ち時間で、自宅側の台所と行き来しながら、食事作りや洗濯など、家族の世話に追われていました
当然同居していた祖母も手伝ってくれ、何とか生活していたのですが、とても忙しい母をずっと見ていたので、姉も自分も母には頭が上がりませんでした
ですが、ある時、普段なら、絶対口に出すことはないと思われた、クソババア、という言葉を、母子喧嘩の時に、口走ってしまいました
幼稚園時代か小学校の低学年頃だったと思いますが、言った瞬間に後悔したこと、母が烈火の如く怒り、追いかけてきたことを覚えています
母に怒られた記憶は2回しかないのですが、その内の1回は、この時でした
頑張っている親の姿を見て育った子供は、自分のような感謝の想いを親に持つんだろうな、と思います