ひでまるgglです
美容師の母は、中学卒業まで種子島で育ちました
母の帰省も兼ねて、夏休みに種子島に連れて行ってもらうのが楽しみでした
小学校3年生まで、夏休みに2〜3泊していた記憶があります
種子島では、祖父母の家に泊めてもらっていました
祖父母の家は、山の中にありました
傾斜地にある祖父母の家は、玄関と縁側が細い石段沿いにありました
また、石段数段を上ると小道があり、小道を挟んだ向かいに、叔母夫婦の母屋がありました
叔母夫婦の母屋は、小学生が連続側転したくなる位、広い和室があり、魅力的な遊び場でした
自分と姉の従姉妹にあたる叔母夫婦の娘3人が遊び相手になってくれました
母屋の横の小道を歩いて20分ほど下ると海に出ました
海水浴場ではない、ただの砂浜に、泳ぎに行くのが、種子島の楽しみの一つでした
自分たち以外が泳いでいた記憶はない位、人気のない砂浜で従姉妹たちと海水浴をしていました
そんな過ごし方をする種子島でしたが、小学一年生の夏に、祖母が亡くなりました
両親と姉とお葬式に参列するために種子島に行きました
お葬式も終わり、せっかく来たのだから、と、、翌日は海水浴に行くことになりました
お葬式に行った先で、海水浴に行くのは、子供心にも不謹慎かな、と思いましたが、海水浴の魅力には勝てません
豪胆で縁起を担がない叔父が、問題ない、と親戚連中に言い切り、出かけることになりました
高校時代の同級生で気心の知れた父と叔父が引率し、従姉妹たち含め、7、8人で行きました
従姉妹たちの中で、自分一人だけ男で、一番幼かったので、少し退屈したのだと思います
従姉妹たちは、浅瀬で遊んでいましたが、自分だけ、海底を蹴って跳び上がる一人遊びを楽しんでいました
当時、泳げなかったのですが、あまり水を怖がらず、夢中で跳び跳ねている内に、足が着かない深さまで流されていました
海水が目に入り、目も開けられない状況で、浅瀬に向かおうともがいていましたが、一向に足が着きません
バチャバチャと何とか浮いていたのですが、これは溺れる、と怖くなりました
そろそろ浮いているのに限界を感じ始めた頃、父の声が聞こえ、父の片手が脇を抱えました
いくらか海水を飲み、溺れている所で、父に助けられました
母屋に帰って、父と叔父が報告すると、喪中に行くからだ、と他の叔父叔母からさもありなん、との声がありました
海は怖い、と同時に、父に救われた命だ、と心に刻まれた出来事でした